音と映画と正門とVOL.04『ボヘミアン・ラプソディ』感想メモ

まずはAぇ! groupデビューおめでとうございます! 京セラ、素晴らしかったな。気合いの入った彼らのパフォーマンス、あの瞬間の観客のボルテージ、一体感、今思い出してもじわりと涙がにじみ出るような、そんな素敵な時間でした。伝説のライブに立ち会ったのかも。ふふふ。

 

さて、今回、VOL.04で正門さんがお話しされているのも、伝説と謳われるライブエイドでのクイーンのパフォーマンスを追体験できる映画『ボヘミアン・ラプソディ』。今もなお、世界的に人気のロックバンド・クイーンのボーカルであるフレディ・マーキュリーの生涯を描いた伝記映画です。

 

 

VOL.01のメモでも書いたけど、まいジャニの末澤風雅漫才の冒頭「おおいボヘミアン・ラプソディのマイクの位置だあ!」の元ネタね。末澤風雅漫才が好きすぎる。

 

そしてそして! 今回もフレディオマージュなスタイリングが素敵。前髪なしが好きすぎるから飛び上がってしまった。劇中でラミ・マレック扮するフレディが醸し出す危うさや繊細な色っぽさも彷彿とさせます。私、正門さんに『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』のジョン役みたいなのしてほしいんだけど、今回のお写真見て尚更思った。

 

脱線したけど、あらすじはこちら。

ギタリストのブライアン・メイとドラマーのロジャー・テイラーに自身を売り込みバンドのボーカルとなったフレディは、1年後にベーシストのジョン・ディーコンを迎えクイーンを始動。楽曲は大ヒットし、世界的なスターとして大成功を収めるも、フレディはセクシャリティなどさまざまな問題に苦悩し、孤独を深めていく。

1991年に45歳の若さでこの世を去ったクイーンのボーカル・フレディ・マーキュリー。彼の華やかな活躍の裏の物語を、表題でもある「ボヘミアン・ラプソディ」「ウィ・ウィル・ロック・ユー」といった名曲の誕生や「ライブエイド」の圧巻のパフォーマンスを再現しながら描く。

 

第91回アカデミー賞では作品賞含む5部門にノミネートし、主演男優賞・編集賞・音楽編集賞・録音賞の4部門を獲得。社会現象ともいえるヒットを飛ばしたものの、批評家の評価は芳しくなかったという稀有な映画です。

 

■初めて観るなら、できれば劇場で……!

伝記映画という位置づけなものの、かなりショー性が強いのもこの映画の特徴だなと思います。音楽総指揮はクイーンの現メンバーのブライアン・メイロジャー・テイラーが担当し、劇中の楽曲はほぼフレディ自身の音声を使用していることでも話題になりました。

そっくりさんの音声も使ってるらしいんだけど、私はちゃんと判別できてません。また観に行きたいな。なんでかわかんないけどTOHOシネマズ日比谷でずっとやってるんだよね。未見の方は、正門さんも言っていたけど、できればでっかいスクリーンで観ることをおすすめします。没入できるはず。

 

というか、多分劇場で観ないと良さがちょっと減っちゃうかも。というのも、この映画って最後のライブエイドを見る劇中の観客の熱を共有しているからこそ、ここまで熱狂的なブームになったと思っていて。

 

P100より

――クライマックスの「ライブエイド」は歴史的な出来事でした。映画ではかなり忠実に再現されていますが、どうご覧になりましたか?

正門「あれは映画館のでっかいスクリーンで観て正解でした。いや、気持ち良かった!」

 

わかる~~ってなった。圧巻のパフォーマンスを大画面で浴びることで映画を観る側がその熱に巻き込まれ高揚してくることが、この映画の醍醐味だと思う。

前述でも触れましたが、実は批評家からの評価はあんまり高くなかった『ボヘミアン・ラプソディ』。監督が途中降板したこともあり、編集賞もらった割につぎはぎ加減が目立ったり(編集のジョン・オットマンも自分でひどいって言ってる)、せっかくのフレディ・マーキュリーという題材を大して深掘りせず陳腐なストーリーに仕立てているという声は、往年のファンからも聞こえていた記憶が。

ただ、最後のライブエイドの熱狂にすべてのボルテージを持っていったと考えると、個人的にはそんなに違和感がなくて。ストーリーというより、「音楽体験」に重きを置いた映画なのかなと思ったりしました。クイーンの重厚感あるサウンドだからなせることなのかもしれないですね。

 

確かにすべて描き出すにはフレディ・マーキュリーという存在が複雑すぎるのはあるけど、ストーリーも単調なわけではないのかなと。起伏もあるし、何よりラミ・マレックの演技が本当に素晴らしい。連載内で言及していたメアリーとの別れのシーンも切なくて。あと、マイアミの音量のシーンも好き。それも史実とは少し異なるらしいけど、シネスクの編集者さんが言っていた通り、「映画ならでは」のシーンだなと感じます。そう考えると、「音楽」「映画」「史実」のいいとこどりなのかも。

 

■Aぇ! groupの話をしてる?

今回の連載、読みながらこう思うことが多くて。ちょっと列挙します。

 

P99

正門「色んなルーツを持つ人が集まってきたというか。で、ひとつのアイディアが出ると、みんなどんどん乗っかってくる、その瞬発力がカッコいいと思いますね。」

 

P101

――パフォーマーとしてのフレディ・マーキュリーに、共感できる部分はありますか?

正門「どうやろ…。共感というより、憧れますね。カリスマ的な感覚があって、なおかつそれを形にする力があるじゃないですか。何かを思いついても形にならないことって多いんですよ。そんな中で、形にするだけでなく、彼らはそれらの曲を観客と一緒にライブで育てていってる感じがするんですよね。こういう彼らのやり方がクイーンというジャンルを作り上げたという気がして、ただただ感嘆します。

 

オタク、みんな「Aぇ! groupさんの話をしてる?」ってなりましたよね?? さまざまな個性が集って、アイデアを形にできる力があって。京セラで晶哉が「Aぇ! groupってジャンルを作って、それを王道にする(ニュアンス)」って言ってたけど、それもすごくリンクして「Aぇってクイーンだったんだ…」ってなりました。Aぇ! groupも同じことは2度やらないのかも。いや、昨日ヤンタンでめちゃくちゃ天丼してたか。

 

映画の内容はあんまり関係ないんですけど、その後のクイーンとボウイの話も好きで。自分がすぐ読めるように写経させてください。

 

P101

――劇中でフレディは、”観客の欲しいものを与える”という、エンタメ的なパフォーマーとしての姿勢を語ります。一方で、彼らとコラボしたこともあるデヴィッド・ボウイのように、自身のアートにこだわるパフォーマーもいます。正門さんや、Aぇ! groupはどちらですか?

正門「難しいですね…。どっちかというとクイーン寄りやけど、ボウイの感覚も忘れたくない。この世界に入ってくる人のほとんどは、最初はボウイだと思うんです。でも、やっていくうちにクイーンのような感覚の大事さや強さが理解できてくる。クイーンにしても、最初はボウイのようにアート的な表現だったと思うんです。その中で、発表した作品が受け入れられて、育ってきて、みんなに求められるようになる。その時々でパフォーマーは、”じゃあ、どういう形でみなさんに、求められるものをお届けできるんだろう?”と考えるんですよ。僕らが表現したいことと周りに求められることが違ってくるのはツラいけど、それでも自分を貫く強さは持っていたい。一方で、求められることに嬉しさを感じて、愛情を持って返すのも正解やと思います。」

 

ここがもうめちゃくちゃ好きで。正門さんの賢明さと芯の強さが全部詰まってる。特に「それでも自分を貫く強さは持っていたい。」が、大好きな正門くんだなと思いながら読んでいました。

 

映画の内容とリンクしているわけではないんだけど、このタイミングで、表現者でありエンターテイナーであるフレディ・マーキュリーを描いた『ボヘミアン・ラプソディ』を語るの、すごく突き刺さる言葉が多かった。いつもよりさらに時間をかけて読んでしまいました。

 

もはやクイーンではなくAぇ! groupさんの話になっちゃうけど、自身の表現と需要を見極めながら、”Aぇ! group”というジャンルをより一層確立していく姿を見られるの、楽しみだなあ。これからもたくさんの伝説に立ち会えますように。ただのデビューのお祝いになっちゃったわ。