音と映画と正門とVOL.02『ファイト・クラブ』感想メモ

ついに連載タイトル決定だ~~~。ぜんぶよかったけど、正門くんのお名前が入っていることが初連載としてとても重要で素敵なことだなと感じました。タイトルより語ってほしい映画を絞るのに死ぬほど時間がかかったな。オタクたちに何をリクエストしたのか聞いて回りたい。

 

タイトルも決まり、連載も本格始動。記念すべき最初のテーマは『ファイト・クラブ』(1999)ですって。

※日本語字幕がついてる公式がなかった

 

まず、誌面のお衣装ってきっとタイラーオマージュ(派手なシャツに革ジャン)だと思うんだけど、今後も映画の登場人物を意識した服着てるの見られるのかな!? 嬉しすぎ。相変わらず派手シャツ似合いますね。

 

さて、このセレクトに対して正門くんは、

 

「1本目にしては、ちょっと攻め過ぎたかな…という気もしますよね(苦笑)。これを読んだ方が、初めてこの映画を知って、観てみたら“何、これ!?”となり兼ねない気もします。」

 

とのこと。本人も好きな映画に上げていたし、映画連載という軸で見ると、正直そこまで違和感はない(むしろ数多語られてきただろうと思う)。なんなら監督はMV出身で、『音と映画と』というコンセプトにはめちゃくちゃ相応しいとさえ思う。なんだけど、「アイドルが語る」映画連載の1回目としては少し攻めているなと私も思った。

 

いやほんと、オタクターゲットにアイドル連載やらせるなら、絶対に一発目は『ファイト・クラブ』じゃないよ。私はこのチョイスにシネスク編集部の本気を勝手に感じて喜んでいます。それだけ正門くんの映画愛と造詣の深さが伝わっているのかなとも。きっとオタクだけじゃなくて、幅広い層の映画好きに刺さるコンテンツになるんだろうな。

 

そんな『ファイト・クラブ』、あらすじとしてはこんな感じ。

大手自動車メーカーに勤め、自社製品のリコールの調査のため日々飛び回っているヤングエグゼクティブの主人公「僕」は、不自由ない生活を送りながらも長らく不眠症に悩まされていた。症状を改善するため、末期がんや結核患者などが集まる自助グループに患者と偽って通い、共に泣いては妙な安らぎを得ていた「僕」は、自分のその救いを邪魔するマーラにイライラとしている。

そんなある日、彼はタイラーと名乗る危なげな魅力を持つ男に出会う。ひょんなことからタイラーの住居に身を寄せることになった「僕」。住まわせる条件としてタイラーが言い出した「本気の殴り合い」にのめり込んでいくうちに同志が集まり、秘密の拳闘クラブができあがっていくが、カリスマ的なタイラーの魅力によって活動はだんだんと過激になっていって……。

 

『セブン』や『ソーシャルネットワーク』のデヴィッド・フィンチャー監督が、チャック・パラニュークの小説を映画化。フィンチャーは『セブン』『ゲーム』に続いたこの『ファイト・クラブ』で作家性を確立したと言われています。ちなみに私は『セブン』が好き。

 

フィンチャーは最近Netflix映画作ってる印象。オスカー最多ノミネートの『Mank』(2020)、最新作の『ザ・キラー』(2023)もそう。後者は1日に映画館で観てきました。こちらも音楽がポイントだけど、正門くん見るかな。11/10からネトフリで配信もスタートします。

 

ファイト・クラブ』の主演はエドワード・ノートンとブラット・ピット(『セブン』でも主演してる)で、ヒロインはハリーポッターシリーズやティム・バートン作品でおなじみのヘレナ・ボナム=カーター。『フランケンシュタイン』に続いて彼女のゴスっぽいイメージが確立された作品でもあります(多分)。

 

公開当時は評論家から「暴力的すぎる」と酷評され、制作費の回収もできなかったそう。しかしCGをふんだんに使った実験的な映像や魅力的なキャラクター、難解な内容からじわじわとファンが増え、上映から20年以上経った今もカルト的人気が高い映画です。

 

サウンドデザインもめちゃくちゃ凝ってて、これはVOL.01のメモ書いた時も記載したけど人を殴る音は鶏肉にクルミを入れてそれを叩いたりしているそう。生々しい音へのこだわりが、この映画に凄みを与えているなと思う。あと、全編通して「ザ・ダスト・ブラザーズ」のデジタルな音楽で場を盛り上げるからこそ、最後のWhere is my mind? がすごく映えるんだよなあと。ギター弾いてる正門くん、見たいな。

 

以下はその他正門くんのインタビュー見ながら考えたことメモ。ネタバレになることも書いてます。映画に対する私の解釈も書いているから、そこら辺は適当に見てくれたらいいです。

 

■アイドル、どんな気持ちで見てるんだ?

P82より

――「ホエア・イズ・マイ・マインド?」という曲のタイトルも、自分の心がどこにあるのか分からなかった主人公を象徴しているようにも思えますが、彼の生きヅラさはどこからきたのでしょうか?

正門「消費社会というのはありますよね。タイラーのセリフにも“消費”に対して批判的な言葉がありましたし、後半はテロっぽい方向に話がいきますけど、タイラーはそれを壊したかったんだろうなあ。クレジット会社のビル群を破壊するのも、資本主義的な考え方の疑問というか。そういう意味ではリアルな話なんだけど、現代のファンタジーと言えるかも。」

 

「現代のファンタジー」言い得て妙だわ。正門くんの言葉選び、本当に素敵。

 

消費社会や資本主義について言及していたり、皮肉られているシーンはいくつもあるものの、セリフとして特に印象的なのは2つかなと。「僕」とタイラーが初めて飲むバーのところと、タイラーが闘技場で仲間を鼓舞しているシーン。

 

・バーのシーン

タイラー「我々は消費者だ。ライフスタイルに仕える奴隷。殺人、犯罪、貧困、誰も気にしない。そんなことよりアイドル雑誌や500もチャンネルがあるTV、下着に書いてるデザイナーの名前、毛生え薬、インポ薬、ダイエット食品…」

僕「ガーデニング

タイラー「何がガーデニングだ! タイタニックと海に沈めばいいんだ! ソファなんか忘れちまえ。パーフェクトを目指すことなんかない。頭を切り替えて、自然な生き方をしろよ」

 

3、4年ぶりに観たんですが、ここは毎回ドキッとしてしまって。主に「アイドル雑誌」の部分にだけど。英語は「Celebrity magazine」だからこちらがイメージするものじゃなくて、有名人のゴシップ雑誌みたいなニュアンスなのかなって思います。でも、そういった有名人の話に踊らされて消費しているという文脈ではあると思うから、個人的には改めて痛いところを突かれたな感があるんだよね。

 

以前のZeppで正門くんが「僕が発信する言葉を皆さんの好きなように受け取って、好きなように解釈してください」って言ってたレポを見たんだけど、その時にこの人はなんて聡い人なんだとびっくりしたのを思い出した。消費される側なんだとわかっているのだなと。正門くんもこの戸田奈津子訳で見ているかと思うので、なんか感じるところあったのかな~って考えてしまいました。映画の本質とはズレた話だったわ。

 

・闘技場のシーン

タイラー「職場といえばガソリンスタンドかレストラン。しがないサラリーマン。宣伝文句にあおられて要りもしない車や服を買わされてる。歴史のはざまで生きる目標が何もない。世界大戦もなく大恐慌もない。おれたちの戦争は魂の戦い。毎日の生活が大恐慌だ。テレビは言う“君も明日は億万長者かスーパースター”。大嘘だ。その現実を知って、おれたちはムカついてる」

 

いや、アイドルこれどんな気持ちで見てるん??? そこではないと思いつつ、ついついそう思ってしまう。

あとカトシゲさんもどんな気持ちで勧めたんだ。加藤シゲアキ先生推薦なのが地味に面白くてじわじわ来てます。前も何かで見て笑った気がするけどカトシゲ好きそうすぎ。舞台『染、色』を経た正門担は加藤シゲアキの薦めという情報を基に『ファイト・クラブ』見たらすごい笑うと思うんだけど、どうだった??

 

■時代を跨ぐシニカルなコメディ

この映画、キーワードとしてとても重要なのが、「ジェネレーションX(X世代)」。主にアメリカで1965年~1980年に生まれた世代のことを指すけど、彼らはベトナム戦争後のしらけた世の中で特に大義もなく、日々ただあくせく働きメディアや広告に踊らされながら生きることに必要のないモノを消費し続けている。男たちは時代に去勢され、戦う場もなく虚無を生きている。それに抗おうとしているのが、ファイト・クラブというわけだ。

 

連載では触れなかったけど、この映画メタファーとしてめちゃくちゃ男性器出てくるじゃないですか。睾丸ガンの自助グループも男性性が失墜した男たちを表しているし、志半ばで死ぬのがそのグループで出会ったボブなのも結局「タマなし」は男じゃないってことなのかなあと思ったりもする。連載、サブリミナル効果のところ話すかなと思ったけど、内容が内容なだけに言及はしてなかったな。音楽をはじめ他にも語るところがたくさんあったからなのか、はたまたアイドルだからなのか……。

 

それは置いといて。この映画は批判的に「マッチョポルノ」と称されたりしているし、私は意外なほどいる「この映画の良さは女の子にはわかんないよね」みたいな男性をぶん殴りながら生きているのだけど、本当にそうか?と思っていて。そのヒントが連載でも言及されていた「コメディ」にあるのではと。

 

後半で警察署長を脅すシーンがあるけど、

 

「世話になってる人間を逮捕する? 調理場の下働き、ゴミを集めてる奴ら、救急車の運転手、夜中に働く警備員。いいな、ジャマするな」

 

ってタイラーのセリフ。ブラピタイラーが言っている分にはいいんだけど、「僕」=「タイラー」の図式が成立した途端、おや?となる。男だらけのドキドキ秘密倶楽部も、タイラーが率いているなら違和感はないけど、これが「僕」だと話が違ってくる気がする。

 

だって、「僕」って本来資本主義の上の方の人なんですよね。若くして大手企業の役員職につき、高級マンションに住んでいた「僕」。今だって上司をはめて退職金を年収2年分ふんだくり、しばらく働かなくても遊んで暮らせる「僕」。そんな彼に付き従って、駒として働く「調理場の下働き」や「夜中に働く警備員」。これを皮肉と言わず、何と言おう?だなと。この「コメディ」というのをフィンチャーに問いかけたのが、元々社会階層の上に属していた超エリートお金持ち家系の異端児、エドワード・ノートンというのも感慨深いと思っています。これは完全に私が勝手に考えていること。

 

正門くんが言ってたように、パンツのまま街中を走り回ってるシーンもおもしろい。ていうかそもそも睾丸を取られることに異様にビビってるところからおもしろくない? 出血多量で命を落とすとか痛みとかじゃなくて、睾丸を切り取られる方にビビってると思うんだよな。正気を疑う行動への恐怖はあるかもしれないけど、やっぱメインは睾丸だと思う。

 

フィンチャーが、「この映画は女性の方が笑いどころをわかってるように思う」みたいなことを言っていたらしいんだけど、もしかしたら男性はこの映画に共感する部分が多すぎて客観的に見れない部分や別のところに目が行ってしまうみたいな傾向はあるのかもしれない。睾丸シーンも、多くの男性にとっては笑えないんだろうな。あまり性別で違いを考えたりはしたくないのだけどこればっかりは仕方ない。

 

そういえばトランプ大統領の主な支持層はジェネレーションXの男性だったらしい。まさに『ファイト・クラブ』で描かれるマッチョイムズに焦がれる労働者たち。20年越しに皮肉をかましてくるこの映画は、やはり興味深い作品だと思うのだ。

 

■タイラーは見ている

正門くんが心を掴まれていたコンビニのシーン、私もすごい好きなところで嬉しかったんですけど、この映画の伝えたいことってマッチョな理想とか消費社会への警鐘とかじゃなくて結局あれなのではとも思うんだよね。

 

P82

正門「なぜ急にコンビニの店員にそんなことしたの分からないし、優しいのか乱暴なのかもよく分からない。“なんやねん!?”と思うんだけど、気まぐれなところも含めて、なんかカッコいいんですよね。あのタイラーのセリフを聞いて、その日その日を無駄にしたらアカンなあ…と思いました。」

 

この映画の冒頭、警告文が流れるんですけど(この警告文をいちいち読んでる奴、そんな無駄なことすんな!みたいなこと書いてる。配信はないっぽい?)、最後「お前が自分を主張しないなら、その他大勢と一緒になるぜ」的なので締められてて。コンビニのシーンも相まって、夢を諦めて惰性で生きるな。一度死んだと思ってがむしゃらになって何者かになれ。のようなメッセージを感じる。

 

最後、ペニス(を模したフェイク画像。モザイクかかってないのはそのせいです。びっくりするかもしれないけどご安心?を)がサブリミナルされる理由もいろいろな説があるけど、タイラーはお前を見てるぜ、舐めた生き方してたらブッ殺すからなみたいな解釈もおもしろいなあって思ってる。

 

正門くんの言うとおり、無駄にしたらアカンなあ…と。でも正門くんはアイドルとして日々努力しながら生きているから何も心配いらないよね。タイラーが来るなら私のところです。

 

いろいろ取り留めなく書きすぎたな。他にも書きたいことたくさんあるけど、いい加減長いので終わります。『ファイト・クラブ』、ぜひオタクたちの論評を聞きたいところ。

これは余談ですが、ついでに永瀬廉主演、こじまさやも出てる『真夜中乙女戦争』(2022)見たら愉快だと思う。

 

ここまで読んでくださった方、お付き合いありがとうございました。『スクール・オブ・ロック』も楽しみ!